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麦島善光とは

麦島善光さんとは、大きな建設会社グループを設立した実業家です。
グループは建設会社や不動産会社などを傘下に加え、グループ総売上は700億円を超える巨大な建設会社ホールディングスになっています。
麦島善光さんの生まれは長野県で、若くして建設会社を立ち上げ、大きな建設会社グループの社長、会長として辣腕を振るい、その他には学校法人の理事長にも就任ました。
そして今、熱海の土石流災害の当事者として大きく取りざたされていますが、今後は裁判で詳細が明らかになると思われます。
プロフィール
麦島善光さんは昭和11年(1936年)7月14日に長野県西筑摩郡(現木曽郡南木曽町)で生まれます。
そして22歳の若さで名古屋で建設会社を設立して会社を大きくし、グループ会社として不動産会社も立ち上げ、やがて建設会社のホールディングス会社も設立して巨大な建設会社グループのトップに君臨します。
その後、2015年3月にはホールディングス会社の代表取締役会長兼社長を退任、2019年3月には最初に立ち上げた建設会社の代表取締役会長兼社長を退任し、建設業界の経営の一線からは退いています。
そのかわりに、近年では学校法人の理事長へと就任し、教育問題に力を入れています。
人物像
麦島善光さんは若くして建設会社の社長となり強力なリーダーシップを発揮しています。
そして建設業を一つの会社でまかなうのではなく、不動産部門の会社を設立したり、他の建設会社や関連事業の会社をM&Aしたりするなど、先を見据えた視野があり、優れた経営手腕を持つ人物です。
家族情報
家族情報としては、弟さんの麦島善太郎さんが一緒に建設会社の立ち上げや経営に関わっていたようです。
それ以外の親兄弟、妻息子娘などの家族情報については、ネット上で調べても不明であり、今後も調査を続け、分かり次第追記したいと思います。
麦島善光の評判高い経歴や実績とは?生い立ちから調査!


どうやって数百億もの売上を誇るグループを構築したのか、その生い立ちから調査していきたいと思います。
700億円以上の売上を誇る建設グループを設立
1936年に長野で生まれた麦島善光さんの生い立ちの詳細は不明です。ただ、現在教育問題に力を入れていることから推察すると、子供の頃にしっかりとした教育を受けていたのではないでしょうか。
もしくは全く逆に、幼少期に教育が不十分な環境だったため、いまの子供たちには質の高い教育を受けてもらいたいから学校法人の運営に携わっているのかもしれません。
そしていつから長野を出て名古屋にでたのかはわかりませんが、日本でも有数の都市、名古屋にて建設業で身を立てようとする、大きな志を感じます。
22歳で建設会社を立ち上げてからは、生まれ故郷の長野に営業所を設立し、郷土愛のある人物であることもわかります。
そして建設会社としての持株会社化を達成し、グループも9社を数え、やがて売上は700億円を超える大企業へと成長させています。
現在では学校法人の理事長を務める
建設会社グループのトップから退いた後は、学校法人の理事長になり、教育分野に進出しています。
学校法人の理事長としての挨拶では、コロナ禍で混乱する世界において経済活動を再構築するのは、経済・経営に関する基礎知識と実務能力の双方を身に着け、さらにIT技能、質の高い語学力までも持つ人材だとしています。
そういった人材を育成するには、ビジネスの分野で必要な教育内容を学ぶと共にIT教育、語学教育を実践し、一人ひとりの個性に見合った能力を育成したいと明らかにしています。
また、日本で学ぶ外国人の留学生に対しては、グローバル化が急速に進む環境の中で適切な教育を施し、今後の日本社会の発展や留学生の母国の発展、さらには世界の発展に貢献できる人材を育成するとしています。
熱海の土石流(土砂災害)とは


その原因や被害状況について、現在明らかになっている事柄を紹介します。
太陽光発電施設が疑われていた
大規模な土石流が発生した当初は、発生地付近の森林を開発して太陽光発電施設(ソーラーパネル)が設置されており、太陽光発電施設を作ったことにより山が保水力を失い、結果として土石流が発生したという論調がありました。
原因の一つとして浮上した盛土問題
しかし、土石流の発生は逢初川(あいぞめがわ)の源流の谷間地域の盛土が起点であることが有力視され、太陽光発電施設は土石流の原因から外されることになりました。
盛土は違法な容積、そして不適切な排水設備で設置されたもので、大雨によってこの盛土が谷を滑り落ち、土砂や森の木々を削り押し倒し、熱海の街を襲ったのです。
被害状況
建物被害は全壊・半壊の家屋128棟、人的被害は当初20名近くの死亡者が確認されました。
さらに、大量の土砂によって被害者や行方不明者の捜索は困難を極め、発生から2ヶ月後に死者は26名となり、半年以上経つ2022年1月にも残る行方不明者の一斉捜索が行われています。
熱海の土石流(土砂災害)と麦島善光の関係について


災害発生当初は直接的な関係があり、まるで犯人であるかのように報じられていましたが、情報が出揃うと、必ずしもそうではないことが明らかになってきました。
麦島善光が土地を所有する前に小田原の業者が盛り土を行っていた
熱海の盛土が行われた土地は、麦島善光さんが所有する前に小田原の業者が2006年に、宅地にするためにその一帯120平方メートルを購入していました。そして、届け出の範囲を超えて森林を伐採したとして神奈川県から作業中止指示をうけています。
前所有者は植栽などの復旧工事を経てから当初の宅地計画を覆し、残土処理のための計画変更を説明し、2009年から谷を埋める形で土砂による盛土が始まりました。
この盛土事業でも、県条例で必要な届け出の工期が切れたまま、申請と異なる工法で工事を施工、産業廃棄物(木くず)を残土に混ぜるなどといった不適切な行為が繰り返され、行政指導を受けていました。
これらの問題に対しては、措置命令など強い対策が取られそうになると申請を出し直したり、対策工事に一瞬だけ着手したりして改善する姿勢を見せてやり過ごすという巧妙で狡猾な動きを見せています。
崩落した7~8万平方メートルの盛り土は熱海市への申請の2倍以上か
そうやって県の条例に違反しつつ2010年11月ごろまで土砂の運搬は続けられ、最終的には申請の高さ15mを上回る高さ50m、実に届け出の2倍となる7万立方メートル(一節には8万平方メートル)の盛り土が形成されたのです。
これに関しては、悪質業者の横暴を許した県や市にも問題があるという指摘もあります。
熱海土石流の原因は観測史上最大の降水量と不適切な排水設備が有力
そして運命の2021年(令和3年)7月3日の午前10時半頃、折からの大雨は熱海の地で7月に観測された中では過去最多となる、48時間で321mmもの降水量を記録していました。
そして大量の雨水に耐えきれなくなった土砂は山の谷間を滑り落ち、街に甚大な被害をもたらします。
原因は大雨のほかにも、堰堤や排水溝といった盛土に対する排水設備が十分ではなかったことも有力です。
責任の所在は、盛り土造成業者らを相手どった裁判で明らかに
2011年に土地が現所有者の麦島善光さんに移ります。その際には旧所有者が盛土の整形を行ったと言われています。
しかし、その対策では十分ではないとして、今回の災害後には遺族ら70人により、盛り土部分の土地の現旧所有者らを相手取り、約32億6,800万円の損害賠償訴訟が起こされています。
責任の大元は盛土を行った小田原の業者にあると思われますが、現所有者の責任は、土地取得後に適切な盛土対策を行ったかどうかが焦点になり、その責任に関しては、今後の裁判に明らかになっていくでしょう。
第三者委員会の最終報告を静岡県が全面受け入れ?
2022年5月13日付けで第三者委員会の最終報告書が公開されました。最終報告書の中で、県の対応を「失敗だった」と非難しており、静岡県側もそれを全面的に認めています。
以下、「熱海土石流 起点の盛り土 市が当時の所有者に安全対策措置命令」という記事から引用します。
去年7月に静岡県熱海市で起きた土石流の起点にあった盛り土の造成場所に大量の土砂が残されている問題で、熱海市は5月31日、盛り土が造成された当時の土地の所有者側に、土砂の崩落を防ぐための安全対策を講じるよう措置命令を出しました。
引用:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220601/k10013652671000.html
これを機に県や市の連携が深まり適切な対応がとれる体制ができることに期待したいところです。
まとめ

実業家としては、数百億円の売上を誇るホールディングスを設立したやり手の人物であることは間違いないです。
そして熱海の土石流災害の盛り土問題では、盛土が行われた後に土地を取得し、その責任問題が裁判で争われています。
今後、麦島善光さんの責任がどう問われるかは裁判次第で、長い時間をかけて、事実の確認や捜査が行われていくことでしょう。
これまでは建設業界では有名だったものの、経歴や評判などは世間に知れ渡っているとは言えない人物でしたが、熱海の土石流災害の盛り土問題で一気に注目される存在となりました。
報道や一部のネットメディアなどの憶測記事により、多くの人が麦島善光さんが熱海の土石流災害の原因であると認識してしまっています。
ここでは、麦島善光さんが実際にどのような人なのか、家族やプロフィールといった基本的な情報から熱海の土石流災害との本当の関係まで、徹底調査していきたいと思います。