青山清利の経歴|未来の起業家にアドバイス!起業失敗と成功の分け目とは!?

青山清利が白黒写真で記念撮影 取材企業記事一覧
編集部
青山清利氏を取材。今回の記事は特集編です。
これから起業を目指している人や起業したけどモチベーションの保ち方などで悩んでいる人は多いはずです。前職ではエリートだった人達も起業したらお客が付いてきてくれない経験などは多くの方が経験しています。

青山清利氏は、そんな状況から30歳以降はリタイヤ生活を送っており、現在は投資家として活動していますが、どのような人生だったのでしょうか。参考になる記事です。最後までご覧ください。

本記事は「青山清利」氏に直接取材した内容を基に作成しております。

青山清利のプロフィール

青山清利が雪山で帽子を被った記念写真
青山清利について
名前:青山清利
神奈川県横浜市港南区出身。
家族構成:父、母、自分の3人家族。
血液型はB型。
身長165cm、体重65Kg。

青山清利の性格/趣味/結婚歴など

編集部
青山清利氏の性格は明るくひょうきんなタイプで交友関係も国内外に広い。結婚歴は不明。趣味は学生時代からやっているサーフィンと父親がプロボクサーだった影響から始めた格闘技。現在も柔術を習っており、定期的に大会にも参加している。タバコは一切やらず、お酒もグラスに口をつける程度で健康志向。現在は六本木ヒルズ在住。フェラーリとロールスロイスを数台所有。パテックフィリップの時計の収集もしている。

青山清利の幼少期~学生時代の経歴

小学生時代は病気との闘い

青山清利 氏
小学生の頃、国の難病指定である潰瘍性大腸炎になり、2ヶ月入院した経験があり、それ以降は健康に気をつけた生活を心がけている。

大学卒業後は海外放浪を1年経験

青山清利 氏
中学校、高校は地元の県立校に通う。大学は数学の学力が高く評価され特別奨学生として入学金等を免除され拓殖大学商学部経営学科に入学。大学時代は昼はサーフィン、夜はクラブでアルバイトに明け暮れる。典型的な駄目な大学生活を謳歌したお陰で、特別奨学生としては初の留年者となる。性格は明るくひょうきんなタイプで交友関係も国内外に広い。大学卒業後は1年間の海外放浪を経て、株式会社光通信に入社。

青山清利の社会人~起業までの経歴

競争の激しい光通信で全国1位の営業成績

青山清利 氏
株式会社光通信に営業職として入社。1年のうちに休みが数日という生活が続く。営業成績は全国1位。後に横浜支店、沖縄支店の責任者として各支店も全国支店のトップの成績に。

両親の事業失敗により「4,000万円の借金」を負う

青山清利 氏
そんな中、父親が経営していた住設工事の会社と、母親が経営していた寿司屋が同じタイミングで倒産。当時両親の借入の保証人になっていた事で、自分にも4,000万円の借金をしょわされる。会社員として充分な給料をもらってはいたものの、借金の額を考えると一発逆転を狙わざる終えない環境になってしまい、会社を退職して起業を目指す。後にベストセラーとなる当時出版されたばかりの「金持ち父さん 貧乏父さん」という本を読んだことも起業する大きなきっかけとなった。

大事な時計を質に入れる際に杜撰な接客対応にビジネスチャンスを感じた

青山清利 氏
起業する業界を模索してる間も貯金はどんどん減っていき、最終的には自分の大切にしていた時計を質入れまでしなくてはいけない状況になる。質入れしにいった際、対応した店員の杜撰な接客を見て、当時業界では最大手だった大黒屋の接客がこんなもんなら参入余地は充分あるだろう、という安易な考えから起業する業界を古物業界に絞り起業。

青山清利は起業した結果、どんな発見があったのか

青山清利 氏
起業はしたものの会社員を辞めてから1年が経っており、既に貯金は枯渇状態。事務所も借りれずにワンルームの自宅で電話回線を一本引いて、出張買取から始める。求人媒体に載せるお金もなく、地元横浜の後輩たちの二束三文の給料で入社してもらい、日中は出張買取、夜中は市中に広告設置と、最初の半年は社員全員がほとんど寝れない生活が続く。地元の仲間たちの力のおかげもあり、初年度で営業利益2億円を計上。2年目以降から全国展開を進めることになる。

独立で気付く「会社のネームバリュー」と「諦めない精神」

青山清利 氏
お金が無い中でも事業が続けられたのは仲間のお陰。起業する前は会社員として働いていたが若かった事もあり、会社の名前があったからこそ取れた契約だったり、会社に守られていた事を独立して初めて感じる事ができた。起業した事で、経理も採用も全て自分で行わなくてはならなくなり、会社員の頃の自分は単純にモノを売るのが上手なだけの人間だった事に気づいた。ただし会社経営に一番大切な「諦めない」という精神は光通信で身につけさせてもらった経験で、あの時の経験がなければ今の自分はなかったと言える。2年弱ではあったが光通信にはとても感謝している。

これからは「社員の成功」が青山清利氏のゴール

青山清利 氏
仕事に関して言えば、当時から頑張ってくれている社員が数名いるので、まずはその社員が成功することが自分のゴールだと思っている。自身の生活に関しては、お金というより時間を大切にした生活をしていきたい。人に恵まれた人生だったと思うので、今度は何かの形でその人間たちに恩返しできる人生を送れたらと思っている。

これから起業する人たちへ青山清利からのメッセージ

青山清利が笑顔で写真
青山清利 氏
起業をしたいと思った場合、一番大切なのは何故起業したいのか?お金でも良いし、理念でも良いか自分の中で逃げられない環境を敷く事が大切だと思う。自分は4,000万円の借金というものが「逃げられない環境」の1つとなった。

死ぬ気で3年休みなく働く覚悟があれば成功すると思う

青山清利 氏
わざわざ借金を背負わされるという環境を作る必要もないが、人間なかなかこういう環境がないと成功できないのも事実だと思う。起業した100社の会社が5年後には5社程度しか残らないと言われているように、相当な覚悟なしにはやるべきではないが、その中で死ぬ気で一生懸命やってる社長がどれだけいるかは疑問。3年休みなく働く覚悟があれば成功すると思う。

死ぬ気で3年働くか、だらだら数十年働くかはそれぞれの価値観の違い。自分は28歳で起業して、30歳以降は殆どリタイヤした生活を送って、今は投資家という立場で仕事をしている。