小澤典行さんは、複数の赤字病院を再建してきた敏腕院長で、2023年には福島第一原子力発電所からわずか22㎞という、避難勧告ギリギリの場所にある高野病院の経営を引き継いでいます。
医者であると同時に、地域医療の未来まで見据えて病院を運営するという、篤志家や経営者としての視点も持つ小澤典行さん。
本稿では、小澤典行さんのプロフィールや経歴といった基本情報、病院経営再建で重要視している3本柱、高野病院の現在を取材と編集部の調査情報を交えて詳しく紹介していきます。
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この記事の目次
小澤典行とは

小澤典行さんは、地域医療を守るための病院・クリニック経営で評判高い方です。
医師、院長、経営者など、様々な顔を持ち、病院とクリニックを拠点に地域に貢献しています。
1989年に富山医科薬科大学医学部を卒業して以来、心臓カテーテル治療や遺伝子解析の研究に従事していました。
そして様々な病院でセンター長や部長、院長などの重要なポストを務め、多いときには全国各地の5病院を同時に経営改善し、病院経営の立て直しに成功したという実績もあります。

現在は、高野病院を拠点に患者に寄り添い、病院の理念である“ここに、こころに。”を実現する病院の理事長として奮闘を続けています。
プロフィール
名前 | 小澤典行(おざわ のりゆき) |
生年月日 | 1963年7月31日 |
出身地 | 愛知県 |
学歴 | 富山医科薬科大学(現・富山大学)医学部卒業 |
趣味 | 音楽鑑賞、オーディオ機器、映画鑑賞など |
現職 | 医療法人社団養高会高野病院理事長 |
経歴

小澤典行さんの経歴年表は以下の通りです。
- 1989年6月:東京女子医科大学日本心臓血圧研究所循環器内科 入局
- 1999年7月:大和徳洲会病院 循環器センター長
- 2001年8月:明芳会横浜旭中央総合病院 循環器科部長
- 2009年4月:康心会湘南東部総合病院 副院長兼循環器センター長
- 2013年4月:大和徳洲会病院及び静岡徳洲会病院 副院長兼循環器センター長
- 2014年6月:湘南厚木病院 院長
- 2015年4月:大和徳洲会病院 院長
- 2017年10月:葵会柏たなか病院 院長代理
- 2019年2月:間中病院 副院長
- 2019年6月:間中病院 院長
- 2019年10月:間中病院院長と静岡地区病院メディカルアドバイザーを兼任
- 2020年12月:間中病院院長、静岡地区病院メディカルアドバイザー及び神戸彦坂病院総長を兼任
- 2021年6月:原田病院 院長
- 2023年11月:医療法人社団養高会高野病院 理事長
- 2024年2月:長野県長田内科循環器科理事長を兼任
- 2024年12月:長田内科循環器科(現きたとの駅前クリニック)を養高会に合併
小澤典行が重視する病院経営再建の3本柱

小澤典行さんは数々の赤字病院の経営を改善し再建を成功させてきました。

多くの経験やノウハウを持っている小澤典行さんに、再建に必要な事は何か、最も重要視する“3本柱”について伺いました。
民間初のPCRセンター設立秘話

高野病院承継前はいくつかの赤字病院を黒字化する病院再建を行ってきましたが、再建に必要なことは職員の意識改革、病床の有効利用、新規事業の3つです。
意識改革は、職員が積極的に会議や委員会で意見を言えるような環境を作ることです。
経営不振の病院では、職員の病院経営参画意識が低く、病院はサービス業であることを忘れている感じがします。
自分たちで考えて行動することが、患者様の笑顔や病院経営に反映される喜びに繋がる環境を整備することが大切です。
また、病院は90%以上のベッド稼働であれば赤字になることはほとんどないことも事実です。
新規事業は経営難の病院では最も重要な取り組みで、ある病院ではコロナ禍の中、民間で初めてのPCRセンターを設立しました。
当時、地域の開業医の先生方は、保健所で取り扱えるPCR検体が少なすぎて困り果てている現状があり、「地域の医療を守るために病院として何ができるか」を真剣に考えた結果の決断でした。
当然、行政は反対してきましたが、地域の医師会の後押しもあり許可を得ることができました。
全国からの検査依頼も殺到し、結果、病院の収益も改善しました。
小澤典行が情熱を注ぐ高野病院とは?

医療法人社団養高会高野病院は、福島県双葉郡広野町大字下北迫字東町にある病院です。
この場所は、福島第一原子力発電所からわずか22㎞という距離にあります。
東日本大震災での原発事故で20㎞圏内が立ち入り禁止指定された後は、原発から最も近い病院の一つとして、残された地域の患者さんたちの貴重な病院として機能してきました。
現在は、内科・神経内科・消化器内科・老年内科・精神科・リハビリテーション科からなり、地域住民のかかりつけ病院としての役目を果たしています。

ここでは、高野病院の震災を乗り越えた歴史と理念について、担当者様に伺いました。
震災を乗り越えた歴史と理念

2011年の東日本大震災の際、福島第一原子力発電所事故が発生しました。
この時、原発から20㎞圏内は避難が必要となりましたが、高野病院は22㎞の位置にあり避難勧告を免れました。
高野病院が建つ広野町は866キロ平方メートルの双葉郡の一部にありますが、原発事故直後は同郡唯一の稼働病院となりました。
当時、精神科病院であったのですが、先々代の高野病院理事長兼院長である英男先生が一般救急患者も受け入れる決断を下しました。
英男先生も精神科医でありながら、救急患者を診ることは相当の覚悟が必要だったと思います。
また、震災直後でライフラインもままならい状況や職員が集まらない状況で、地域の医療を守り続けるために奮闘した先代理事長である高野己生さん(当時事務長)をはじめ、多くの職員が当時の現状から逃げることなく患者様に寄り添い、医療を継続しました。

病院のロゴにある”ここに、こころに。”が、まさに当てはまる病院です。
その流れは今も変わらず、地域の患者様の健康を守る病院として職員一同、真摯に医療に向き合っております。
小澤典行の哲学が息づく高野病院の現在

高野病院は、高野英男さんの急逝後、娘の高野己保さんが引き継いで医師探しやコロナ禍などの苦難を乗り越えてきました。
しかし、病院を継いでくれる後継者探しに苦労し、なんとしてでも病院を残したいと奔走していたところ、医療機関の経営改善の実績が豊富な小澤典行さんと出会い、事業継承が実現しました。

ここでは、小澤典行さんの哲学が息づく高野病院の現在の姿について伺っています。
救急・訪問診療の再開で地域に寄り添う医療を提供

高野病院の継承後、救急患者受け入れ、訪問診療の再開を行い、訪問リハビリも始めました。
元々、高野病院のある双葉郡は震災後の復興が進んでおらず、人口が少ないのですが、住民がいる限り医療は必要です。
承継した時点で高野病院の経営は病院を維持することを目的としていたので、採算は度外視した医療提供を目指しています。
このため、全国の後継者のいない病院やクリニックを事業承継しながら、高野病院の経営基盤を強化しつつ地域医療の存続を可能にしてゆく方針です。
クラウドファンディングで未来を拓く

救急医療や訪問診療を再開するためには人材確保と資金が必要でした。
東日本大震災を乗り越えてきた経験から院内のコンセンサスは容易に得られたのですが、資金だけは何ともなりません。
お金がないから医療を諦めるならば、地域医療を守っていくことはこの先、高野病院以外の地域でも難しいと考えられます。
高野病院ではこの問題を解決するため、クラウドファンディングを行いました。
震災後、被災地の医療を守り続けてきた病院として全国各地の方から支援を受けることができ、目標金額まで到達し、生化学分析装置などの必要機器を購入できました。
暖かい支援は職員の自信にも繋がり、訪問リハビリの開始など新しい病院展開に発展しました。

高野病院には、数多くの困難を乗り越えてきた歴史があります。
「どんなに苦しい時も医療への情熱があれば何とかなる」と自然に思える文化が受け継がれており、それこそが高野病院の最大の強みだと感じています。
地域住民との強い絆が生んだ「医療の砦」

病院という存在は、しばしば“地域の砦”などと称されます。
原発避難区域間近という特殊な立地である高野病院は、離島や過疎地域、限界集落などと同じように、医療機関としての貴重性は極めて高くなっています。
そういった特殊条件の中、高野病院は特に地域住民との絆を強く結び、「医療の砦」としての使命を果たしてきました。

そんな高野病院を支える地域の人々との絆には、心温まるエピソードが数多くあります。その一つを伺いました。
地域の支えと訪問診療で命をつなぐ

震災直後のエピソードですが、物資や食料が不足して入院患者様の食事提供が危ぶまれたことがありました。
もちろん震災地域の人は皆困っていたのですが、入院患者様は特に体力もなく食事がなければ命の危険が大きいと考えられました。
その時、近隣のスーパーの店主が高野病院に店の鍵を持ってきて、患者様のため店にあるものを何でも持って行って活用して欲しいと訴えてきたのです。
自分たちも食べることに苦労しているのに、無償で食料の提供をしてくれたのです。
また、近隣のガソリンスタンドは燃料も優先的に供給してくれました。
このようにいざという時に多くの地元民が高野病院を支えてくれたことは、日頃の医療を住民が評価してくれていることに他なりません。
なお、当院は高台に位置しており津波の被害は免れましたが、通院にはやや不便な場所にあり、送り迎えの家族にも負担となります。
そこで、通院が難しい患者様には訪問診療を行い、在宅でのサポート体制を整えています。
移動に苦労する患者様は訪問診療に移行することで、身体的、精神的な負担が減ったと喜ばれています。
さらに、高齢化が進む地域ではリハビリの需要も高まっています。

リハビリスタッフが足りず、需要に追いついていない苦しい状況もありますが、少しでも多くの方が安心して暮らせるよう、チーム全体で支援を続けています。
高野病院で働く魅力【採用情報】

高野病院は、内科、精神科、リハビリテーション科、事務などで様々な人材を必要としています。
地域との結びつきが強く、職員同士のコミュニケーションも良好だと評判の高野病院ですが、働くうえでどのような魅力があるのかを伺いました。
地域医療の最前線で活躍できる人材を募集

現在、病院スタッフとグループのバックオフィスメンバー、M&Aに関わるスタッフを募集しています。
病院に関しては特に、薬剤師、PT、OT、看護師、ヘルパーを募集中です。
地域医療に興味があり、もう少し大きな視点から働きたい方はバックオフィスメンバー、M&Aに関わるスタッフが良いかもしれません。
やる気があれば、専門のスタッフが丁寧に指導してくれますので、スキルがなくても大丈夫です。
働きやすい環境とリーダーへのキャリアパス
当院は慢性期療養病棟60床、認知症病棟49床の小・中規模の病院のため、職員間の部署間のコミュニケーションはとても良いです。
また、震災という困難を乗り越えてきたことからチームワークも抜群で、医療に対する情熱は他病院より優れていると思います。
病院の特性上、残業はほとんどなく子育て世代の職員にとってライフワークバランスのとれた環境となっています。
また、地域医療の最前線で活躍できるよう、一般的な外部研修参加支援や資格習得支援を行っております。
将来的に地域医療を守っていくリーダーの育成が、今の大きな目標になっています。
小澤典行のリーダーシップが導く次なるステージ
小澤典行さんは、病院経営の改善、再建のスペシャリストとして、今だけではなく、先を見据えた病院経営を行っています。
類まれなリーダーシップを持つ小澤典行さんが導く、高野病院の次なるステージはどのようなものになるのでしょうか。
地域医療を守るための最初の砦

高野病院に限らず、我々のグループの理念は”地域医療を守る”ことです。
開業医の約60%は後継者がおらず、困っています。
もし、地域の医療機関が閉院したら高齢の患者様は遠くの医院や病院への通院を余儀なくされるでしょう。
このような日本の現状と患者様の役に立ちたいとの思いが、我々の原動力です。

高野病院は私たちがこの思いを込めて承継した第1番目の医療機関です。
共に地域医療に尽力いただける医療スタッフを募集しています。
まとめ
以上が敏腕院長である小澤典行さんの経歴や病院経営の極意、高野病院の概要やこれからについて取材と調査ではっきりと分かったことです。
地域医療の砦として、地域の住民や患者さんと強い絆で高野病院が結ばれている事が分かりました。
新しく募集しているスタッフも地域医療を守るために働くことができ、様々な職務やスキルを経験することでリーダーへの道が拓けています。
小澤典行さんのリーダーシップのもと、高野病院は地域に貢献しながら着実に成長を続けています。
今後も、地域の「医療の砦」としてさらに進化していくことが期待されます。
病院概要
名称 | 医療法人社団養高会 高野病院 |
所在地 | 〒979-0402 福島県双葉郡広野町大字下北迫字東町214番 |
TEL | 0240-27-2901 |
FAX | 0240-27-2286 |
院長 | 社本 博 |
開設 | 1980年9月 |
開設者 | 医療法人社団養高会 理事長 小澤典行 |
病床数 | 109床 |
職員数 | 101名 |
小澤典行さんに関する情報や、これからの高野病院の挑戦まで分かる内容になっているので、ぜひご覧ください。